プラエトル (ラテン語: Praetor) とは、古代ローマの政務官職の一つ。日本語では法務官と訳される。共和政ローマではコンスルに次ぐ公職でインペリウムを保有し、主に司法を担当した。
その成立については諸説あるが、コンスル職が「コンスル」と呼ばれる以前の呼称として「プラエトル」が使われていたといわれる。共和政初期にはプラエトルは軍事的な司令官の意味合いが強かった。また階級闘争の過程で公職が開放される中でコンスルがプレブスにも開放されたのに対して、紀元前337年まではプラエトルに就任できたのはパトリキ(貴族)のみであった。紀元前305年に今までプラエトルがこなした業務はコンスルが行うようになり、「プラエトル」の称号はインペリウムを保持しつつコンスルに次ぐ公職となった。
当初は1名であったが、紀元前227年以 降増員され、ローマ市民権を保有するローマ市民に関する司法を担当する首都プラエトル(プラエトル・ウルバヌス)とローマに滞在する外国人の司法を担当す る外人係プラエトル(プラエトル・ペレグリヌス)の2名が首都に配置されるようになった。その後ローマが属州を獲得すると再び増員され首都の2名以外はイ ンペリウム保有者として属州総督の任にあたった。
ルキウス・コルネリウス・スッラがローマを掌握し改革を実施した際にプラエトルを8人に増員、性質も変化し全員が首都に置かれ司法を担当することとなった。
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